株式会社わくわくスタディワールド

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人や自分を責めても,いいことなんてない

わく☆すた,美月です。
今日はちょっと,毛色の違うお話しです。


今日,あるベストセラー本が,回収されることになりました。
盗用疑惑が広がったことに対する措置ですが,すごいのは,AmazonやYanooなどでの攻撃的なコメントの多さ。
ほとんどのコメントでは,ものすごい勢いで,著者や出版元をたたいています。
「盗用は悪」という大義名分のもと,無関係な第三者が大勢攻撃するのは,行き過ぎという気がします。


昔,私の友人でも,本を書くときに他の人の原稿を盗用したと,疑惑を持たれた人がいました。もう,7年ぐらい前のことなのですが,飲み会などでは,いまだに「あいつは悪いやつだ」と断罪している人を見かけます。こういうのは,雰囲気が悪くなるので,私は苦手です。


私の本棚には,お気に入りの本を集めた,「コア・ブックス」のコーナーがあるのですが,その中に,「善悪中毒」という本があります。
物事を善と悪に分けて,悪を攻撃する「善悪二分法」の害悪について,絵本の形式で,わかりやすく説明した本です。すごく薄い絵本ですが,内容はおそろしく深い,私の価値感が変わった本でもあります。


人は,「悪いこと」をしている人に対して,攻撃をするのは,「いいこと」だと錯覚しています。
時にその攻撃は,やった悪いこと以上にひどいことになってしまいます。
部屋を片付けていない妻を殴るDV夫は,「片付けていなかったおまえが悪い」など,自分を正当化してから殴ります。でも,殴ること自体の方が,冷静に考えれば「悪いこと」です。
でも,「相手が悪い」という妄想は,自分がどんなことをしても正当化でき,そのおかげで罪悪感を感じずにすむのです。


「善悪中毒」の本では,何かを「悪」だと考える際の論理のすりかえやラベルの付け替えなどを示して,善悪の判断がいかに錯覚でできているかについて書いてあります。
人は,相手が「悪」だと判断すると,とても残酷になれるのです。


あと,善悪の判断は,人に対してだけでなく,自分に対しても行ってしまいます。
正しいことをしようとしていても,人間なので間違うことも必ずあります。その時,間違った行為ではなく,「自分はなんてダメなんだ」と自分自身の人格を責めてしまう人がよくいます。これは,行為を反省して改善する,というところまでだったら役に立つと思いますが,自分に「ダメなやつ」のレッテルを貼ってしまうと,逆に足かせになってしまいます。


「自分がダメなやつ」とおもってしまうと,ダメな部分を隠そうと,さまざまなごまかし,偽りが発生します。「間違った行為をしたように見えるけど,ホントは間違ってなかった」と,実際に起こった事実をわざと誤認したり,その事実から目をそらして,見ないようにするといった行動につながります。


例えば,情報処理技術者試験を受けて,落ちたとします。このとき,「自分の勉強のどこが足りなかったんだろう」という考えで自分を冷静にいければ問題ないです。でも,素直に受け止められないと,「自分はなんてダメなやつなんだ」と自分を責めてしまって,ウツになる人もいます。


逆に,「情報処理技術者試験なんて意味がない」と,試験それ自体を責める人もいます。昔,上司に,「俺は,情報処理一種なんて持ってるやつは信用しないね」と言われたことがあります。矛先がぶれ始めると,関係ないものも「悪」の対象になってしまういい例です。


間違えてしまったことがわかったら,修正すればいいんです。
それは行動の問題であって,あなた自身の価値とは関係ありません。


人に対しても自分に対しても,一緒です。
人や自分を責めても,いいことなんてありません。
いたずらに体力を浪費して,相手や自分との関係を悪くするだけです。


。。。それがわかっていても,思わず責めてしまう自分がいますが,それも含めて,自分を認めることが大切だなと感じています。