美しい暇つぶし
わく☆すた,美月です。
私は,ついついネットを見続けたりとか,マンガを読んだりとかしてしまうのですが,こういう「ぱっと見に明らかな暇つぶし」は,罪悪感も感じるし,実はそれほど害にはなりません。
こういうのは,「息抜き」という効果もあるので,ある程度やった後は,逆に勉強や仕事ははかどったりします。もちろん,やり過ぎてしまうと問題ですが,適度にやる分には,あんまり深刻な問題にはなりません。
家族がいれば,こういう「他の人がみてわかりやすい暇つぶし」には,抑止力が働きます。うちでも,ゲームにはまっていたりすれば,冷たい視線が飛んできますし,度を超えてやるほどにはなりません。^^;
実際に危険なのは,「美しく見える暇つぶし」で,一見良いことに見えるので,なかなかやめづらく,泥沼にはまってしまうようなものです。
今日聞いた話で,ある「ボランティア」にはまりすぎて,仕事や家族に必要な時間が取れなくなってしまった,という人がいました。
ちょっとの時間のつもりで始めたボランティア活動が,段々いろんな人に頼られる内に量が増え,奥さんが反対しても聞かずにいろいろ出かけるようになってしまう,というものでした。
こうなってしまうと,自分の人生に使う,大事な時間が取れなくなってしまいます。
そのボランティア自体が人生の目的,というならいいですが,そうでなければやめるのも一つの選択だと思います。
なんとなく「いいことをやっている」という美しい暇つぶしは,とられる時間が,普通の暇つぶしに比べて格段に大きいので危険です。
その他に,美しい暇つぶしだなと思うのは,「下手な勉強」です。
なんとなく,勉強していると,かっこよさそうだからって感じのものは,あんまり実を結びませんので,大きな時間とお金の浪費になる怖れがあるのです。
個人的に,目的なしにやって一番意味がなさそうなのは,「英会話」だと思ってます。
このあたりは,営業が強力で,「なんとなくやった方が良さそう」的な雰囲気を盛り上げる広告戦略にも長けているので,思わずやりがちです。でもこれは,「勉強してる気」になって,200時間も300時間も浪費してしまう典型パターンかと思います。
仕事や将来の目的を考えて本当に必要なら別ですが,語学系の,習得するのに時間と労力がかかるものは,必要に応じて選ぶ必要があると思います。
それ以外だと,「本を読むこと」も,使い方によっては美しい暇つぶしになります。
最近,よく思うのですが,「こうすれば成功する!」というノウハウ本を読んで,なるほどすごいなー,と思いつつも全然実践しない,というのは,単なる暇つぶしかな,と感じることも多くなりました。
本を読むこと自体で,活字に慣れるという意味はあると思いますが,度を超すと,かえって害になることもあると感じています。何でも本を読めば素晴らしいいい,というわけではないのです。
世の中には,「やったほうがいいこと」というのは無限にあります。
でも,人生は有限です。やれる時間は限られています。
その中で,自分の人生に大事なものを,意識して選び取っていきましょう。