学ぶことは本能
わく☆すた,美月です。
今日は日曜日ですし,ちょっと毛色の違う話をしようかな,と思います。
もしよかったら,手をとめて,考えてみてください。
みなさんは,なぜ,勉強するのですか?
試験に合格するためだったり,それによって給料が上がるとか昇進につながるということだったり,いろんな理由はあると思います。そして,その理由があるから,勉強するんだ,と思ってると思います。
それでは,もう一つ質問です。
その理由がなくなったときには,勉強をやめますか?
イヤイヤやってる勉強の場合,速攻でやめることも考えられます。でも,意外と,勉強をもう始めてしまっている人には,理由がなくなっても続けたい人って多いんじゃないかな,って思ってます。たとえやめたとしても,なんとなく名残惜しいような,そんな感じは残りませんか?
コンピュータが好きな人が情報処理技術者試験の勉強をするときとか,自分の好みと勉強する内容がある程度合ってる場合,純粋に「面白い」と感じる部分も結構多いんじゃないかと感じてます。勉強って,イヤなことばかりではないはずですし,ある程度面白くないと,そもそも勉強は続かないはずです。
実は,本来,勉強って,結構面白いものですし,人間は本能的に「学びたい」という欲求を持っています。
古典的な心理学では,何かを学ぶ時の動機として,「内発的動機」と「外発的動機」があるとされています。このうち,内発的動機,というのは,「面白そう」「やりたい」という感じの,自分の中からわき起こる動機です。それに対して,外発的動機というのは,「お金がもらえるから」とか「褒められるから」といった,外からの報酬を目的とした動機です。
人間だけでなく,動物にも,この「内発的動機」はしっかり存在しています。
サルに知恵の輪を与えると,面白がって一生懸命解く,という実験結果もありますし,新しいこと,刺激的なことは知りたい,という欲求は,生物の本能として存在します。
ただ,実は,「やりたい!」という内発的動機があることでも,その上に「外発的動機」が与えられると,内発的動機は減退することが知られています。
サルに知恵の輪を与えると,最初はなにもなくても面白がって解きますが,そのうち,「解けたら餌をあげる」という外発的動機を与えると,餌を与えられなくなったら,知恵の輪を解かなくなる,という実験があります。
報酬を与えることで,本来やりたかったはずのことが,やりたくなくなる,という例です。
私たちは,学校の勉強などで,「いい点をとると褒められる」とか「いい点をとるといいことがある」とかいった形の,外発的な動機で勉強してきました。そのため,本来子どもの時には自分の中にあったはずの,内発的な「学びたい,勉強したい」という欲求が,減退してしまっていて,その状態が当たり前のように感じてしまっています。
でも,本来,自分が学びたいことを学ぶことは本能ですし,本来は楽しいものです。
子ども達に,新しい,めずらしいことを教えると,夢中になって学ぼうとします。興味を持ったときに学ぶ時の吸収の速さには,ものすごいものがあります。
ですので,できる限り,「学びたい」という欲求をそのまま感じながら勉強していくのが,新しいことを学ぶ上で大事です。そのために,「イヤだけどやろう」の前に,「この勉強をすると,何が面白いのか」を知ってから学ぶと,スムーズに学習に入っていけると思います。
私個人としては,情報処理技術者試験の勉強は,コンピュータの仕組みがわかってIT全般を体系立てて知ることができる,とっても面白いものだと感じてます。言葉が難しかったり,参考書がつまらなかったり,最初はきつい部分もあるとは思いますが,頭の中で知識がつながってくると,いろんな仕組みがわかってきて,問題を解くのが楽しくなってきます。
なので,なるべく気楽に,「学ぶことは本能で,やってると楽しいもの」という意識で勉強していくと,楽しくなるポイントに出会えて,学習効果も上がると思います。
苦しくても頑張る,という意識を捨てて,力を抜いて,楽しむ姿勢で学習していきましょう。